6月7日:礼拝メッセージ

6月7日   礼拝メモ       (T・O)
  ヨハネ14章27節     (説教) 朝比奈啓子師
 「神から来る平安」
         
  今日の聖書箇所の前後13~17章には、イエス様が十字架にお架かりになる直前、間もなくこの世を去られることを意識し、弟子達を深く愛してなされたこと、残していかなければならない弟子達への大切な教え、そして彼らのため(弟子達のみならず後々信仰を持つ人々のためにも)祈られたお祈りが記されている非常に大切な部分である。今日は、弟子達を残して天に帰られるイエス様が置き土産として約束してくださった「平安」について学ぶが、それは世が与えるものとは違う、どこに行っても得ることのできない平安であって、それはどのような平安なのかを3つの点から学ぶ。

 

一、日常生活の諸々の心配事を治めてくれる平安
  私達は人生において様々な問題や課題に直面するが、事実生きて働いておられる神様が、私たちに常に心を傾け、配慮し、守り、支えてくださる。この神様が私たちの行くところどこにでも共にいてくださるので、安心してお任せし、平安のうちに過ごすことができる。

 

二、失敗や罪を赦されることからくる平安
  私たちは心ならずも失敗をすることがある。説教者自身が最近経験したことであるが、一つの出来事を通して深く扱われた。神様の前に心から謙ってありのままの自分を申し上げ、お赦しを請うたとき、神様の恵み深さを経験し、心に深い平安を頂戴することができた。私たちは弱さ、足りなさの故に失敗をすることがある。そのとき、それを放置していては平安はない。包み隠さず神様の前に出て、お詫びすべきことをお詫びし、憐れみを請い、お委ねするならば、神様は受け入れてくださり、他では得られない神様の平安を与えてくださる。失敗と共に罪の問題についても同様。行いにおける罪、思いにおける罪、示されたなら放置せず、その罪を正直に認め、心から神様にお詫びするなら、神様は赦しと平安をお与えくださる。

 

三、天国に入れると信じることから来る平安
  人が最も恐れるのは死の問題。クリスチャンには 死の苦しみの恐れや不安はあっても、死後の行き先が神様によって約束(14・1~3)されているので、 死の先のことについては安心することができる。

 

  これらのすばらしい平安を私たちが持つことができるようにしていてくださる神様に心から感謝をし、この週も神様が共に歩んでくださることを信じて、平安をいただきながら歩ませていただこう。