6月28日:礼拝メッセージ

 6月28日   礼拝メモ       (T・O)
  詩篇62篇5~8節   (説教) 朝比奈悦也師
 「私はゆるがされない」
      
  ダビデによって作られた歌だと言われている詩篇62篇から、クリスチャンとはどのような人であり、具体的にどのような生活をする者なのかを学ぶ。

 

一、神に信頼した人生を送る人
  疑わず、信頼する生活を送る者。どんな時にも、先ず神に信頼せよ、と聖書は教える。自分の持っている健康、能力、金銭等々は大切なものであるが、それらは限りがあり、失われ、手放さなければならず、いつどうなるか分からないものである。であるなら、より確かなものに信頼を置かなければならない。イエス・キリストはご自分の生涯を通して決し て変わることがないお方であることを示された。その後、二千年を経ても変わらずに人々に宣べ伝えられ、今も人々の心の支えとなっている。目前の必要、すぐに役立つものがすべてであるかのように捉えてしまうことなく、今一度、今日受洗の恵みに与った方々も、長年の信仰生涯を辿ってきた方々も、クリスチャンとはどんな時にも何はさておき、神に信頼して生きる者であることを心に刻みたい。


二、神に心を注ぎ出す人
  心を注ぎ出すとは、熱心な、本気の、真剣に取り組む姿勢であり、取り組む対象とその人との間には他の何ものも入る余地のない結びつきができている状態を意味する。クリスチャンとは、神様との間に何ものにも妨げられない絆、結びつきのできた人。祈りを通し、礼拝を通して神様と結びつく。神様以外のものに目が動き出すとき、神様との結びつきが崩れ出す。警戒したい。

 

三、神を待ち望む人
  神を待ち望むとは、いただく、受け入れる、という意味。聖書やあらゆることを通して、神は私たちに教え導かれる。待ち望む人とは、その神の教えを受け入れ、従う人のこと。その従い方は、強制されて嫌々従うのではなく、自発的・積極的に期待と希望、喜びをもって従うことが待ち望むという姿勢である。
  クリスチャンとは、どんな時にも神に信頼する人であり、神様との絆がしっかりと保てている人であり、希望と期待をもって神を待ち望む人である。これらの生活を送るとき、6節後半、2節後半にあるように、どのような世の荒波にも流されることなく、決してゆるがされることがない。お互いがこの後の生涯、神様にしっかりと信頼を置き、結びつき、ぶれない信仰生涯を全うさせていただきたい。