8月30日:礼拝メッセージ

  8月30日   礼拝メモ       (T・O)
  詩篇126篇       (説教) 朝比奈悦也師
 「主は大いなることを」
      
  日本人は信心深いと言われるが、信じている対象がよくわからない、得体が知れない、実態がつかめないというのが実情ではないだろうか。しかし聖書の神様は実在する神であり、イエス・キリストを通して私たち人間を深く愛してくださるお方である。観念の神ではなく実在し、この神を体験することができる。旧約聖書にはイスラエル人達が、新約聖書にはクリスチャン達が神様を体験していることが記されている。今日は詩篇126篇より、イスラエル人達が神様をどのように体験したかを3つの点から学ぶ。


一、体験のとき
  1節に「繁栄」という言葉があるが、人は繁栄し、物事が順調にいっているとき、その幸いを喜び、神様が祝福してくださっていると実感する。更に1節に「繁栄を元どおりにされたとき」とあるが、その言葉から繁栄でない期間があったことが読み取れる。順調でない期間、逆境の期間があって、そこから繁栄が回復されたというのである。私たちは屡々失敗をしたり、喪失感を味わったり、辛く苦しい中を通 過することがある。そのようなときが神様を体験する貴重なときであると聖書は教えている。悩み苦しみの中にあるとき、神様は私たちに近づき、語りかけ、慰め、励まし、教え、必要な叱責を与えて軌道修正をされる。それは順境の時ではなく逆境の中を通過したときでしか得られない宝の神体験である。


二、体験の内容
  2節3節に「大いなることをなされ」とある。順調に次々祝福が得られるのも幸いだが、逆境の中に陥って、悩み苦しみの中から再び回復される経験は、順調な時に味わう幸いとは比べものにならない大きな喜び。「大いなることをなされた」と実感することができる大きな喜びがある。


三、体験の結果
  5節6節、どんなに涙を流し、泣きながら出ていくような経験をしたとしても、必ず喜びの生活に変えられる。そしてやがてこの地上生活を終えたとき、二度と涙を流す必要のない、喜びと感謝と賛美に満ちた永遠の御国が備えられている。これらのことを捉えている信仰者は、苦しみの中にあっても希望と平安を失わない生活を送ることができるのである。
  確かに生きて働いておられる神様を日々の生活の中で体験し、大いなる喜びを味わい、希望をもって歩ませていただくお互いでありたい。