11月1日:礼拝メッセージ

   11月1日   礼拝メモ       (T・O)
  ヨハネ8章12節    (説教) 朝比奈悦也師
 「わたしは世の光です」


    今日のヨハネ8章12節は、イエス・キリストがご自分を人々に自己紹介をするために語られたことばである。他の聖書箇所には、「道・真理・いのち」「羊飼い」「ぶどうの木」「いのちのパン」とご自分について語られた。これらは、イエス・キリストが私達にとってどういうお方であるのかを示しているおことばである。本日「わたしは世の光です」とのおことばより、私達にとってイエス様は光であるとは、具体的にどのようなお方であるのかを学ぶ。


一、光は物事を明らかにする。
    光は暗闇を照らし、物事を明らかにする。イエス様は、私達が生きる上で大切なことを教え、分からせ、人の生きる意味、目的、価値を教えてくださる。そして、人の心の中には罪があることを分からせ、この罪が人生をゆがめ、破壊に至らしめる深刻なものであり、人間は深刻な罪をどうすることもできないものであることを教え示される。


二、光には殺菌・浄化作用がある。
    光であるイエス様は、人間に不幸をもたらす罪を取り除くお方であることをその御生涯を通して証明された。罪を犯されなかったイエス様が極刑の十字架にかかり、罪人の私達の身代わりとなって死んでくださり、それによって私達の罪を取り除いてくださった(ペテロⅠ2:22~24)。


三、光はエネルギーの源である。
  光であるイエス様は幸せの源であって、私達のいのちとなり、力となり、健康の源となってくださる。人生の戦いの中で力を与えて勝利に導くお方。中でも人間が最も必要としている罪に勝つ力を与えて罪に勝たせ、平安と確信を与えてくださる。


    以上のように光であるイエス様は、私達に力と勝利と真の幸いを与えるお方である。神を知らず、光に背を向け、不必要なものを負い、暗い影を追いながら歩む人生ではなく、方向転換をしてイエス様に向き直り、光を受けて歩み出そう。ここに真の幸いな人生がある。