1月3日:礼拝メッセージ

1月3日   礼拝メモ       (T・O)
  創世記4章1~16節   (説教) 朝比奈悦也師
 「二つの視点」      


 創世記の最初には創造の記事が記されていて、3章に人類最初の罪が、4章には人類最初の殺人事件が記されている。これらの罪は、どの時代、どの国、どの民族にも存在し続け、今後もなくならない深刻な現実問題である。聖書は厳粛な事実に真正面から向き合い、大切な真理を教えている。今朝も3つの点から学ぶ。

 

一、二つのささげ物
  人類最初のアダムとエバから誕生したカインとアベル。カインは農耕に従事し、神に作物をささげた。アベルは牧畜をし、羊を神にささげた。その二つのささげ物に対して、神様はアベルのささげ物に目を留められたが、カインのものには目を留められなかった。それを憤ったカインは弟を襲い殺害し、弟について神に尋ねられても白を切った。彼は罪に罪を重ね、人生の放浪者となってしまった。ささげものは人の人生を左右する問題を引き起こしかねない。 目を覚まし、真実に取り組まなければならない。

 

二、二つの視点
  神様へのささげ物がどうしてこのような悲劇を生むに至ったか。なぜカインのささげ物が神様の目に留まらなかったのだろうか。7節に「あなたが正しく行ったのであれば」とある。問題は、どのようにそのささげ物をしたか、というところにある。アベルは意図して最上のものを神様にささげたが、カインはそうはしなかった(34節)。人はうわべを見るが、主は心を見られるお方である(Ⅰサム16・7)。 人の視点と神の視点、二つの異なった視点がある。

 

三、信仰
  物事に対して自分自身でしっかりと見きわめ、また周囲の人々の意見も良く聞き、正確に理解することは大切であるが、神様の視点を忘れてはならない。 神様の視点は人の視点より重要であり、神様の視点を捉えて生きることが信仰である。そしてそれが正しい健全な心の持ち方である。神様の喜ばれるささげものは砕かれた悔いた心(詩篇51・17)とあり、神様の前に謙った心をもって歩まれたイエス様に倣おう。父なる神様の御心を第一とし、ご自分のすべてをささげて従い、私たちの救いを全うしてくださった。

 

  今日、私たちは二つの視点があることを学んだ。しっかりと物事を見ると同時に、より大切な神様の視点を重んじ、それに従い行くことの幸い。アベルが最も良きものを神様におささげしたように、私たちもこの一年、神様の視点を優先し、御心に従って歩ませていただきたい。あとは神様がすべて責任をとってくださる。