2月7日:礼拝メッセージ

2月7日   礼拝メモ       (T・O)
  ローマ6章23節他    (説教) 朝比奈悦也師
 「罪から来る報酬は死」

 

 私たちは様々な事件や出来事に遭遇するが、それらから学び、知恵を得て生かすとき、私たちの人生が改善される。私たちの人生を幸せなものとするのに必要なものが聖書に記されている。以下、3点のことを学ぶ。

 

一、罪という事実
 世間には、嘘、偽り、欺き、妬み、恨み、中傷、盗み、不道徳など、悪しきものが溢れている。これらを含めた「罪」はすべての人にあるものであると聖書は語る。そして、私たちが自分の生活を振り返るとき、犯罪こそ犯さぬものの、この「罪」を犯しながら生きていると指摘する。悪いと分かっていて行い、隠し、嘘をつき、正当化しようとする。さらには、小さな嘘から始まり、回数が増え、麻痺し、大きな嘘も平気でつくようになる。人間は本当に罪深い存在であり、罪の奴隷であると聖書はいう。

 

二、罪ゆえの不幸という事実
 「罪から来る報酬は死です」とある。罪がもたらすものは死であり、不幸であり、人間を破滅、破壊、滅亡に至らせるものである。罪によって築き上げられた功績、名声、地位、家庭、健康は失われ、不幸は周囲にまで及ぶ。人間が罪の中を歩む時、健康が害され、人間関係が壊れる。しかし、聖書はもっと深刻な問題があると教える。それは罪に対する神様からの審きがあることであり、それこそが、罪のもたらす最悪な結果としての「死」である。

 

三、罪からの救いの事実
 罪の奴隷となってしまっている人間にはその罪の 解決のために人の力や物質、社会の変革や環境の改善等ではどうすることもできない。しかし聖書は、罪人を救うためにこの世に来られたイエス・キリストによって罪の救いが得られると語る。イエス様は罪を犯されなかったが、罪人のために身代わりとなって極刑の十字架にかかり、罪の償いを成し遂げてくださった。償われた罪は赦される。罪からの救いが、罪ゆえの不幸からの救いがここにある。


  罪の事実、罪ゆえの不幸の事実、罪からの救いの事実について学んだ。今日学んだことを私たちの生活に生かして幸いな人生を送りたい。確かな神様のおことばである聖書の教えを信じ受け入れ、歩み出すとき、私たちの人生が心から感謝する人生へと変えられる。ぜひ信じて踏み出されるように。