2月14日:礼拝メッセージ

 2月14日   礼拝メモ       (T・O)
  イザヤ63章8~10節   (説教) 朝比奈悦也師
 「預言者イザヤの認識」
 旧約時代に神様はイスラエルの民を教え導くために預言者を遣われされた。イスラエル王国が南北に分裂し、北王国が滅びていく時代に生きた預言者がイザヤである。神様は、困難な中に置かれたイスラエルの民を見捨てることなく、必要とする教えを預言者を通して彼らに与えられた。それはまた今の私たちも学ばなければならない大切な教えである。以下3点について学ぶ。


一、イザヤの置かれた時代背景
 イザヤは紀元742~692年の50年間、南王国で預言者として働いた。北王国がアッシリヤに滅ぼされ、南王国も存亡の危機の中、人々の生活は混乱と腐敗、堕落、転落の時代であった。この中でイザヤは神のことばを伝える大切な使命を全うした。イザヤ書は旧約と新約を結ぶ大切な役割を果たし、第五福音書とも言われる。救い主誕生の預言と救い主はどのようなお方であるかを預言している。63章では、暗黒の時代にあっても自分自身と神様を正しく知るなら、困難な時代を乗り越えていくことができる、と語る。

 

二、イザヤの民認識(10節)
 イザヤの時代に至るまでの千年を超えるイスラエル歴史の中で、神の民と呼ばれるイスラエルの人々は神に逆らう民であった。順調なときは自己過信し、問題が起きれば不平不満責任転嫁、何れにしろ自己中心で神に逆らってきた。また主の聖なる御霊を痛ませた、とある。神に愛され育まれてきたにもかかわらず神に逆らい、神を悲しませてきた。更には神様が味方となるなら圧倒的勝利を得られるにもかかわらず、神様を敵にまわして敗北を味わってきた。彼らが、神から離れて本来頼るべきでないものに頼ろうとする誘惑に陥りやすく、弱くて愚かで迷いやすい存在であることを正しく認識し、神様の前に謙って出て正しい神の導きと助けを願い求める者でなければならないと、イザヤは教えている。

 

三、イザヤの神認識(8・9節)
 愛想尽かされて当然な民を、なおも神は愛とあわれみによって「わたしの民、偽りのない子たち」と呼び、民が苦しむときにはいつも主ご自身も共に苦しんでくださり、昔からずっといざというときは矢面に立って全責任を負い、抱いて、救い出してくださった。これが神様であり、イエス・キリストである。


 正しく自分を認識して謙り、これからも変わることのない神様、私たちの頼るべきお方は神様以外にないことを更に深く捉え、主を信じて新しい週を踏み出そう。