3月13日:礼拝メッセージ

   3月13日   礼拝メモ       (T・O)
  ガラテヤ5章24・25節他  (説教) 朝比奈悦也師
 「御霊に導かれて」

 

 ガラテヤ書は、現在のトルコ共和国の北に位置する地方にある教会教会に宛ててパウロが書いた手紙であって、当時それらの教会が直面していた深刻な問題を指導し、問題の中にある信徒の信仰の立て上げのために記されたものである。その中から3つのことを学ぶ。

 

一、クリスチャンとはどういう人か
 イエス・キリストを信じる信仰によって人生の大転換をし、すばらしい恵みと祝福、特権に預かった人。①義とされた人(2・16)。義とされるとは、罪が赦され、永遠の滅びから救い出され、永遠のいのちが与えられるということ。②神の子どもとされた人(3・26)。神の子どもとされることは特権である(ヨハネ1・12)。罪赦され、子どもとして迎えられ、お父さんとの豊かな交わりに入れられた放蕩息子の譬えをみれば恵みの素晴らしさがわかる。③聖霊を与えられ、聖霊を宿した人(4・6)。信じる人の心に神様が聖霊として宿り常にいかなる状況の中にあっても共にいてくださる。

 

二、信仰者の厳しい現実
 ①迷う現実(3・1)。キリストを信じて救われるのであるが、ガラテヤの信徒たちは律法と割礼に重きを置いた人々によって信仰を惑わされた。私たちも世の人々の生き方や価値観に心惹かれ、惑わされることがある。私たちのためにいのちを投げ出して救いを成し遂げてくださったお方に心を定めよう。②救いの喜びが失われてしまう現実(4・15)。③聖書の教え、真理に従わなくなり、キリストから離れ、恵みから落ちる現実(5・47)。恵みが失われ、義務感から信仰生活を送り、疲れ果てて信仰から外れてしまう危険性がある。その先には永遠のいのちはないことをパウロは知らせるためにこの手紙を記した。

 

三、信仰者への警告
 健全な信仰生涯を送るためには、肉の生活、神様を押しのけた自己中心な生活に戻ってはいけない(5 ・161724)。罪に支配された生活が待ち受けているから(5・19~21)。ではどのように生きればよいか。聖霊に導かれて歩む(5・25)。自分の思いを押し通すのではなく、内住の御霊の教え導きに従って歩むこと。罪に打ち勝つには罪に打ち勝たれたお方に導いていただく以外にない。乗り越えられそうにない大きな問 題に直面することもあるが、全能の神様の助けをいただくなら乗り越えることができる。聖霊に導かれて歩むこと、これこそが私たちの進むべき唯一の道である。主を仰ぎ、御霊の導きに従って信仰の道を歩みたい。