4月24日(日):礼拝メッセージ

4月24日  礼拝メモ       (T・O)
  創世記22章1~14節  (説教) 朝比奈悦也師
 「アブラハムの試練」
 先週は同じ聖書箇所からアブラハムの信仰について学んだが、今朝はアブラハムの受けた試練について学ぶ。

 

一、試練
 1節には、神様がアブラハムを試練に遭わせられたとある。これから神様は信仰者に試練をお与えになる方であることがわかる。試練とは、耐えられそうにないと思えるほど厳しい辛いものである。しかしアブラハムは試練を受け、それに耐えた。私たち も神様から与えられる試練は受けるべきものである。


二、耐えられる試練
 愛の神様は、私たちを壊すために試練を与えられるのではない。また私たちが耐えられないような試練には遭わせられない(Ⅰコリント10・13)。それゆえ、神様の与えなさる試練は忍耐をもって受けるべきである。アブラハムはそうした。私たちが人生を生き抜くために忍耐が必要であるが、忍耐は試練の中で体験し、試練の中で学び、試練を通して体得していく。試練は忍耐をもって受け取るべきものである。

 

三、栄光を実現する試練
 神様からの試練は栄光を実現するものであって、私たちに心からの喜びの結果をもたらすものである。アブラハムは神様からの試練を通して思いもよらない栄光を経験した。①必要とするまさにそのとき羊が備えられた。②試練を通してアブラハムは更に大きな器、祝福された器と整えられ、作り上げられていった(22・15~18、24・1)。③アブラハムが試練 に会っているとき、神様はそのアブラハムと共に居 られ、アブラハムを見守り、アブラハムのすべての重荷を共に背負っていてくださった。イエス様は私たちが罪と永遠の滅びから救い出すために黙々と十字架を背負ってくださったように。愛の神様の与えなさる試練は、神様の栄光を実現する試練以外の何ものでもない。

 

 神様がお与えになる試練を忍耐をもって受け、神様の栄光の実現を拝させていただきたい。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」(ローマ8・28、37)。この神様から離れず、勝利の生涯を歩ませていただくお互いでありたい。