5月1日(日):礼拝メッセージ

5月1日  礼拝メモ       (T・O)
  ルカ15章11~24節   (説教) 朝比奈悦也師
 「心の歪みと人生のずれ」

 

 人体には歪みやずれが生じ、歩行にも歪みを生むと言われるが、聖書は人間にもっと深刻な心の歪み、人生のずれというものがあると教えている。

 

一、心の歪み
 「歪」は不正と書く。不正は悪であり、罪である。罪は心の内から醜い思いがわき出し、行動や態度や言葉となって現れる。この譬え話の息子の人生を見るとき、彼の心は歪み、人生がずれていた。彼は父親の気持ちも考えず、自己中心、やりたい放題、不道徳な生活にどっぷりと浸り、父の財産を使い果たして行き詰まった。この譬え話は、神様とは如何なるお方で、人間とはどのような者なのかを示すために語られた。お父さんは神様、息子は人間の姿である。人の心の中にある罪が、嘘やごまかし、中傷、裏切り、盗み、不道徳などの形となって出てくる。これが人間の姿であり、人には罪、心の歪みがある。

 

二、心の歪みゆえの人生のずれ
 この息子は心の歪みのため、人生は大きくずれて、何もかも失い、死ぬ以外にないところまで追い詰められた。聖書は罪からくる報酬は死であると語る。罪の最初は小さいが、それを繰り返すうちに、心の痛みは徐々に麻痺して消え、快感さえ覚えるようになる。罪はエスカレートして拡大し、気づいたときには取り返しのつかない状態となっている。罪、心の歪み、人生のずれを決して甘く見てはならず、放置していてはいけない。なぜなら聖書は「罪からくる報酬は死です」と語る。しかし、罪と死の問題を人間はどうすることもできないのが現実である。

 

三、心のゆがみゆえの人生のずれからの回復
 罪とは非常に恐ろしい結果を招くものであり、罪とその結果の死の解決のために人間は全く無力である。ところが何もかも失い、死ぬしかない状態に陥った息子が、驚くべき解決、素晴らしい回復を得た。神様は御子イエス・キリストによって私たちの罪のために完全な償いを成し遂げてくださった。息子はお父さんのもとに戻り、一切の罪の赦しを得、そして失われていた温かい愛に満ちた家庭、社会的立場、生活の必要の全てをお父さんによって与えられた。聖書は私たちも魂の親である神様のもとに戻ること が心の歪みと人生のずれの回復の道であると教える。


 与えられている一度きりの人生を、歪み、ずれたままにせず、神様のみ許に行き、心からの安らぎ、喜び、希望をもった真に幸いな人生を歩ませていただこう。