5月15日(日):礼拝メッセージ

5月15日  礼拝メモ       (T・O)
  ローマ1章16節     (説教) 朝比奈悦也師
 「我は福音を恥とせず」


 パウロが、福音を恥とせず、と語ったその意味について考える。
一、福音とは
 「福音」はギリシャ語で「ユーアンゲリオン」と いう。「ユー」とは、素晴らしい・良い、などの意味があり、「アンゲリオン」は、知らせ・ニュース・情報などの意味である。これらから「福音」とは、喜ばしい知らせ、という意味である。喜ばしい知らせの中身は、イエス・キリストの十字架の死によって全人類に罪からの救いと永遠のいのちが提供されている、ということである。


二、福音を恥とせずとは
 当時のユダヤ人社会の心の支えであったユダヤ教の救いは律法を守ることによって得られるとの教えであるが、キリスト教の救いはキリストを信じることによって得られると教えられた。そのためユダヤ人にはキリストの救いは受け入れられず、むしろその教えに対して憎しみや怒り、敵対心を持っており、徹底して迫害を加えた。ユダヤ教徒であったパウロも先頭を切ってクリスチャン達を激しく迫害していた。しかし彼は復活したキリストにお会いして救いを経験し、キリストの福音を宣べ伝える者となった。それ以来 パウロはユダヤ教徒達から裏切り者と見なされ、何度も激しい迫害を受け、いのちの危険にさらされた。しかしどんなに迫害を受けても益々福音を宣べ伝え続けた。福音を恥とせずとは、パウロのいのちがけの生き様である。


三、私たちにとって、福音を恥とせずとは
 それは、私たちが神様から一方的に受けることができたキリストの救いの恵みを、人々に分かち合うために伝道をすることである。伝道には困難や闘いが伴い、犠牲や代価が求められる。しかし犠牲を惜しまず、忍耐をして伝道し続けること。私たちもそのような者でありたい。


 今晩の東大阪特伝のために、このスピリットをもって皆がそれぞれの立場でできることを真剣に受け止め、出席をもって、祈りをもって、献げ物をもって、魂の救いのために心を込めて戦わせていただこう。