6月19日(日):礼拝メッセージ

6月19日  礼拝メモ       (T・O)
ルカ15章11~24節   (説教) 朝比奈悦也師
「父なる神の愛」

 

  父の日の今日は、放蕩息子が体験した父の愛と、その中で得た信じられないような恵みを通して、私たちに対する父なる神の愛について3つのことを学ぶ。

 

一、待つ愛
 それは決して見放さず、見捨てない愛とも言える。放蕩息子は欲しいものを手に入れ、幸せを得ようとしてやりたい放題をし、罪におぼれる人生を送った。その結果、手にした財産をすべて失い、夢も希望も生きる気力も失せ、飢え死にしかない破滅の人生へと転落してしまった。周りにいた人々は皆彼を見捨てて離れ去り、彼の兄さえも見捨てている。全ての人から見放され、見捨てられて当然のこの人物に対して、たったひとり待ち続けていた人がいた。それは彼の父である。ここに父なる神の愛が示されていて、この愛で私たちをも愛し続けていてくださる。

 

二、赦す愛
 放蕩息子はどん底に落ち込んだとき、自分自身の姿を自覚し、父親からは到底受け入れられざる存在、また受け入れられる資格のない者であることに気づいた。そのとき、父の元に帰って詫びよう、自分は息子としての資格はないので雇い人のひとりにしてくださいと言おう、と決心した。ところが父は遠くに見えた息子に走り寄り、抱いて何度も口づけした。息子はこの父の対応に赦しを実感し、受け入れられていることを感じたに違いない。またイエス様が捕らえられたとき見捨てて逃げたペテロも甦りのイエス様に赦され、受け入れられ、愛されたように、私たちの罪の赦しのためにイエス様は十字架にかかり、死んで償いを成し遂げてくださった。赦す愛である。

 

三、生かす愛

 転落と死の人生から「死んでいたのが生き返ってきた」とあるように彼は赦され、生きるため必要の一切を惜しみなく与えられ、死んだような人生から希望と喜びと平安に生かされた人生へと変えられ、立ち上がっていった。これはお父さんの愛ゆえのなせる業である。父なる神様は、滅びに向かっていた私たちを神様との交わりに入れてくださり、必要を満たし、永遠のいのちへと導いてくださる。

 

 父なる神様は、いかなる状況にあっても決して見捨てず待っていてくださる。このお方のもとに行くなら、赦し受け入れ、生かし立ち上がらせてくださる。これまで守り支え続けてくださった神様から決して離れず、この先もずっと信頼を置いて進ませていただきたい。