7月17日(日):礼拝メッセージ

7月17日  礼拝メモ       (T・O)
 詩篇46篇1~2節    (説教) 朝比奈悦也師
「喜びの人生(感謝する喜び)」   

 

 聖書は私たちに喜びの人生を提供する書物である。人生には喜びだけではなく、辛いこと、苦しいこと、悲しいことが多くある。聖書の教える喜びとは、楽しいときだけの喜びではなく、いつ如何なる中にあっても失われない喜びがあると教えている。今日はそのことを3つのポイントから学ぶ。

 

一、明日を知らない人生
 私たちは、明日のことについては誰もわからず、生きている。突如として起こる大災害、毎日のように起こっている悲惨な事件や事故、思いもよらない病、等々。私たちにはこの先何が起きるか分からない毎日を送っていて、そのために不安や恐れを抱いてしまう。そしてそれが事実となったとき、どうしてよいか分からず、うろたえ、迷い、疲れてしまう。多かれ少なかれ私たちはそのような経験をしてきた。

 

二、神を知る人生
 明日を知らない人生を送っている私たちに聖書は、神を知って生きる人生があることを教えている。「神 はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。」(詩46・1) ここには聖書の教える神とはいかなるお方であるかが記されている。人生の大問題に直面したとき、どこに避難すればよいか分からず、人生の嵐に押し流されて歩んでいるのではないだろうか。そして自分自身の無力さを味わわされ、打ちのめされてしまう。しかし、人生の避け所、生きる力、助けとなってくださる神がおられる、と聖書は私たちに語る。そしてこの神を発見するならば、明日に対する不安や心配に押しつぶされることから解放され、神に信頼することによって心からわきでる感謝と喜びの人生に変えられる。こうして人生の諸問題から逃げ惑うのではなく、神から自分に必要とする力と助けが与えられ、守られると、信じて立ち上がることができる。日々の生活の中でその事実を体験して生きることが神を知って生きる人である。

 

三、どうすれば神を知ることができるのか
 信じるに価する確かな神を、理屈ではなく、子どもが親を頼るように単純に信頼して受け入れることであると聖書は教える。現実を直視しつつ、神を本気で信頼して歩むとき、確かに神はおられ、助け導いてくださることを知るようになる。

 

 今日チャンスをとらえ、神を信頼して歩む人生、感謝と喜びを失わない人生をぜひ始められるように。