8月7日(日):礼拝メッセージ

8月7日  礼拝メモ            (T・O)
 創世記4章1~14節      (説教) 朝比奈悦也師

「罪による平和の喪失」

 

 人類の一番最初の殺人事件が記されている箇所。人が幸せに生きるためには平和が必要であるが、歴史上で戦争のなかった時代はなく、今も各所で戦争行為が続けられている。平和だと言われている日本でも毎日のようにいがみ合いや対立、争いによる事件が起きている。平和が失われている理由と回復について3つのポイントから学ぶ。

 

一、罪
 カインとアベルの兄弟がそれぞれ神にささげ物をした。神は弟のささげ物に目を留められたが、兄のささげ物には目を留められなかった。人は上辺しか見えないが、神様は心の動機をご覧になる。弟はまごころから精一杯のささげ物をしたが、兄は形式的な不誠実な心でのささげ物であった。それで兄は自分のささげ者が神様に受け入れられなかったことに対 してひどく怒り、顔を伏せ、神に反抗的な態度をとり、弟に 対しては憎み、妬み、怒って、遂に殺人を犯してしまった。この兄の姿の中に人間の心の内にある醜い罪、自己中心の罪 があることを聖書は指摘する。そして人は罪に対して誰もがしていることと軽視し、その深刻さに無頓着になっている。

 

二、罪による平和の喪失
 平和が大切であるということか分かっていても、罪によってその平和が破壊されている。兄のカインは弟アベルを殺害した後、神から弟はどこかと尋ねられたとき、自分の犯した罪を隠すために知らないと嘘をついた。兄は弟との関係を壊したと共に、神様との平和な関係をも破壊してしまった。そのため神様から追放され、人生の迷子となってしまった。この世の知識や富はたくさん持っていても、人生の迷子となってしまっている人がいかに多いことか。自分の願い、好みを守るために周囲の人々を押し倒し、身勝手な行い、裏切り、 怒りなどによって、平和を喪失してしまっている。

 

三、平和の回復
 罪は、どんなに教育を施し、知識を蓄え、科学が進歩しても解決できるものではない。人間の手に負えない深刻なもの。しかし聖書は、イエス・キリストによって罪の解決が得られると教える。罪を犯したことのないキリストが、私達の罪のために身代わりとなって十字架にかかり、死んで罪の償いをなし遂げてくださった。私達人間をひたすら愛するがためにである。愛は3つの和をもたらす。お互い打ち解け合う融和、足りない部分を補い合い協力し合う調和、融和と調和の中にあるときに味わう平和である。キリストの愛は私達に融和と 調和と平和をもたらし、本当の幸せへと導く。私達を愛し、罪の解決をしてくださるキリストに信頼して歩み出すとき、幸いな生涯が始まる。

 

 真の平和を提供してくださるこのキリストを信じて進み出されんことを。