10月16日(日):礼拝メッセージ

10月16日 礼拝メモ          (T・O)
ルカ24章13~53節   (説教) 朝比奈悦也師
「心は内に燃えていた」

 

 今日の記事は、キリストのよみがえりの顕現の箇所。復活は理屈に合わない、受け入れられないと人々は考える。また弟子達もなかなか理解できなかった。復活は事実であることを示すために様々な人々にその姿を現された。キリストこそが救い主であると信じ、すべてをかけて従ってきた人々にとって、目の前で十字架で殺されたということは、再び立ち上がることができない大きな出来事となった。その人々の前に復活のキリストが実際に現れ、よみがえって存在していることを示すことによって、打ちのめされた彼らの信仰をしっかりと立て直し、その後の厳しい人生に立ち向わせ、勝利の信仰生涯を全うさせたのであった。ここから信仰確立のためになされた3つのことを学ぶ。

 

一、聖書を開く(18節32節)
 イエス様の十字架の死後、落胆した二人の弟子達がエルサレムから離れつつあるとき、復活のイエス様が彼らに近づき、歩調を合わせて共に歩まれた。その彼らに聖書のみことばを語られ、彼らはみことばに触れることができた。信仰確立のためには、みことばに聞き、学ぶことは欠かせない。

 

二、聖書を説き明かす(27節)
 彼らはイエス様からみことばを聞くだけではなく、それを説き明かしていただいて教えを理解した。信仰の確立と成長のためには、信仰の中身を理解していかなければならない。聖書が説き明かされるとき、聖書が理解でき、目が開かれる。みことばの解き明かしがなされる所に身を置き、耳を傾け、目が開かれていくお互いでありたい。

 

三、聖書を悟らせる(45節)
 聖書を悟るとは、聖書の教えを自らのこととして捉え、それを土台として行動し、判断し、生活の知恵としていくこと。聖書に触れ、聖書を理解し、聖書に従って生きることである。弟子達はおことばによって心の目が開かれたとき、暗い重苦しい(17節)心の状態から心が内に燃える(32節)経験をし、喜びを抱いてエルサレムに帰った。それからはいつも宮にいて神をほめたたえる者と全く変えられた。その後クリスチャン達は非常に厳しい迫害を受け、痛めつけられたが確信は揺るがず、希望をもって福音を宣べ伝え続けた。これこそ本当の勝利者の生涯である。

 

 厳しい現実の中で不信仰に陥りやすい私たち。学んだようにみことばに聞き、教えられ、順調なときも不調なときも、日々みことばに従って生きるなら、必ず勝利者となれる。そのようにみことばに従って生きよう。