10月9日(日):礼拝メッセージ

10月9日  礼拝メモ          (T・O)
イザヤ40章27~30節 (説教) 朝比奈悦也師
「新しく力を得」

 

 イザヤは紀元前742~692年まで南のユダの預言者として活躍した。この頃、北のイスラエルはアッシリアに滅ぼされ、彼らは奴隷となって敵国に連れ去られた。ユダの人々はその悲惨な姿を目の当たりにすると共に同じアッシリアの手が自分たちに迫っているという非常に厳しい時代であり、国内的には悪王達の政治により社会は腐敗堕落していた。イザヤはこの時、最も必要なものは生ける真の神に対する信仰であると語り、アッシリアから守った。この出来事から、真の神を信じる信仰は3つのものを捉える信仰であることを学ぶ。

 

一、人を正しく捉える信仰(30節)
 人は厳しい現実に直面するとき、若者であっても疲れ、たゆみ、倒れる、とイザヤは語っている。時代は移り変わっても、今もはすべての人は様々な現実生活の中で疲れ、たゆみ、倒れるということに直面している。これは人間の弱さ、もろさ、限界のあることを物語っている。この現実の中で生ける真の神に対する信仰は、自己過信や高ぶりから守り、ありのままの姿を受け入れ、謙遜になることを教える。

 

二、神を捉える信仰(2829節)
 人間を捉えるだけなら人生は空しく、絶望でしかない。しかし、永遠に、地の果てまで居られる神、天地宇宙のすべてを創造された全能なる神、たゆむことなく無限の能力を持ち、すべてをご存知のお方。その神様が、小さく弱く疲れ倒れる私たち人間のひとりひとりに心を配り、力を与えて立ち上がらせてくださる。神様はこのことを繰り返してイスラエルの民に語ってこられた。そして彼らは出エジプトの出来事を通し、バビロン捕囚の解放の出来事を通し、この約束の事実を体験してきた。今の私たちも、厳しい現実生活の中でこの生ける真の神を捉えるとき、新しく力を得、立ち上がらせていただける。

 

三、勝利を捉える信仰(31節)
 如何に厳しい状況の中にあろうとも、神様が私たちに力を与えて、勝利の人生を生かしてくださる。荒野のただ中を旅したイスラエルの民を、神様がマナを与えて日々の必要を満たし、養い、導いたように。神様は私たちにもその時々に応じた必要な力を与えて勝利に導いてくださるお方である。その勝利は主を待ち望む者に与えられる、と約束されている。

 

 まず、生ける真の神に目を向け、信頼し、待ち望む姿勢を取らせていただきたい。神に代わる他のもので乗り越えようとするとき、疲れ、たゆみ、倒れる。この重要なポイントを捉えて、主を待ち望む者であろう。