11月27日(日):礼拝メッセージ

11月27日 礼拝メモ          (T・O)
マタイ1章18~25節  (説教) 朝比奈悦也師
「闇の中に輝く光」

 

 十一月最終聖日は降誕節の始まり。今朝はヨセフを通して、イエス様が闇に輝くお方であることを3つの点から学ぶ。

 

一、ヨセフを襲った闇
 当時のイスラエルはローマ帝国の属国であり、人々はその圧政の故に先の見えない闇の中にあった。しかしそんな中、ヨセフにとって婚約者のマリヤと家庭が築けるというささやかな希望は彼の支えであった。ところがそのマリヤが妊娠したというのである。彼には身に覚えのないことであった。マリヤの不貞、裏切りとしか考えられない出来事に遭遇し、ヨセフの希望であり支えが根底から崩されてしまい、最悪の暗黒に陥れられてしまった。

 

二、ヨセフの苦悶
 ヨセフにとってあり得ない出来事の中で彼は苦しみ悶えた。日に日にマリヤの体にも変化が現れ、益々混乱し、心を痛めた。このような場合すぐさま離縁でき、社会に公表して石打の刑に処することができた。しかしヨセフは正しい人で愛情深い人であった。苦しみ抜いて出した結論は、マリヤが石打にならないよう、内密に去らせようとした。誰にも一切公表せず、これまでヨセフが負い続けてきた心の痛み、悲しみ、落胆、絶望、混乱、怒り、これら一切を自分一人で飲み込むというものであった。この姿はまさにイエス様のお姿と重なる。罪人の私たちのために苦しめられ、十字架について死んでくださり、私たちが負うべき罪の裁きをご自身がすべて引き受けてくださった。

 

三、闇の中のヨセフにもたらされた光
 ヨセフはこの深い苦しみの中で、御使いを通して神様の語りかけを受け、それは神のご計画であることを知らされた。その時、ヨセフはそれまでの一切の恐れと苦しみから解放された。それだけではなく、マリヤから生まれる子はイスラエル人が待ち望んでいた救い主であり、全世界の人々の救い主であると告げられた。何という喜び!何という感謝!をヨセフは味わったことであろうか。

 

 人生には闇は存在するが、照らすイエス様がおられる。イエス様は闇の中から私たちを救い出すだけではなしに、喜びと感謝と賛美に満たしてくださる。生涯において助け導いてくださるだけではなく、地上生涯を終えたなら永遠の御国に迎え入れてくださる。何があろうとも闇を照らすイエス様だけは決して失ってはならない。主を見上げて進もう。