1月22日(日):礼拝メッセージ

1月22日 礼拝メモ          (T・O)
 ローマ12章12節   (説教) 朝比奈悦也師

「霊 的 礼 拝」

 

 一月は礼拝について学んでいる。先週は、イエス様が悪魔の誘惑を受けられ、おことばをもって勝利され、礼拝が勝利の秘訣であることを学んだ。今朝はロマ書の中心的なおことばであるが、ここから礼拝について教えられている3つの大切なことを学ぶ。

 

一、礼拝とはささげること
 1節に「霊的な礼拝」とあるが、霊的とは、スピリチュアルではなくリーズナブルという意味であり、理にかなった、健全な、正しい、という意味である。正しい礼拝をささげることを意味する。パウロは正しい礼拝のために、あなたがたのからだを、あなた方自身を生きた供え物としてささげなさい、と語る。礼拝というプロスクネオ、或いはラトレインというギリシャ語には、ひれ伏すという意味がある。これは、僕が主人の前にひれ伏す姿、僕として主人の主権を認め、心から信頼し、自らの全てを任せ、主人の指導に従う姿勢である。最も確かなお方、主権をもっておられる神を信じ、自らに関する一切を委ねてその指導に従うこと。これがささげるということであり、これが最も確かな、最も大切に生きる生き方である。

 

二、礼拝とは分離すること
 2節に「この世と調子を合わせてはいけません」とある。礼拝とは、この世から離れることを意味する。この世の習わし、不正、不義、悪、不道徳、汚れに染まることなく、それらから離れ、一線を画すること。礼拝を通し、神様に委ねることによって、この世と一線を画する者に造り変えてくださる。正しい礼拝とは、この世と調子を合わせないことである。

 

三、礼拝とは変えること
 神のみこころは、私たちが聖くなることである。そのために、心の一新によって自分を変える、とある。それは、礼拝を通し、世から離れるだけではなく、心を変えていただくこと。神様との絆を築くことによって、神様は私たちを教え、神の愛に生きるように造り変えてくださる。私たちにとって最も価値あるものは神の愛。神の愛は平和を生み出し、真実に生きる者にし、あらゆるものを大切にして生きる者と変えてくださる。ここに真の幸いがあり、私たちを永遠のいのちに至らしめる。

 

 この年、何はさておき、礼拝を守ろう。そして信仰の道を進みながら、神様がどのような祝福をお与えくださるか、身をもって体験させていただこう。