2月26日(日):礼拝メッセージ

2月26日  礼拝メモ          (T・O)
 ルカ15章11~32節    (説教) 朝比奈悦也師
「不可欠な三つの健全」

 

 前回、前々回と二回にわたってこの箇所から弟息子に焦点を当てて学んできたが、今朝は兄の方に目を向け、欠いてはならない三つの健全さについてを学ぶ。

 

一、行いの健全さ
 イエス様のたとえ話の中で、弟は好き勝手な自堕落な汚れた生活をしてきた人物であったと表現されている。彼は父のもとを離れ、不健全な人生を歩む中で様々な問題に直面し、迷い、振り回され、行き詰まり、死を覚悟せざるを得ない窮地に追い込まれた。人はどんなに科学の英知を身につけ、肉体を鍛えようとも、人生の荒波には無力であることが描かれている。一方、兄はそれまでひたすら忠実に父親に仕え、まじめな行いをして暮らしてきた(29節)。まじめで健全な行いは、私たちも家庭や職場や社会の中で見習わなければならない尊い大切なものである。

 

二、心の健全さ
 兄は行いにおいては非常に素晴らしい人であったが、心において課題を抱えていた。彼の心は自己中心で支配されていた。自己中心の人は自分に甘く自己評価が高いが、他者に対しては厳しく評価が低い。兄は自分のしてきたことばかり主張し、父親がそれまでの人生にしてくれたことが見えていず、感謝の心がないばかりか、攻撃的批判的で、冷淡な傲慢な心をもっていた(29・30節)。心の健全さを欠くとき、不平、不満、怒りに満たされる(28節)。行いの健全さと共に心の健全さがいかに大切であるかを教えられる。

 

三、信仰の健全さ
 兄は父を信じていなかったのではない。父を信じ、正しい行動を取ったが、心まで変える信仰は持っていなかった。聖書の教える信仰は、行いのみならず、心をも造り変える信仰である。弟は自堕落な生活から父に心を向け、父のもとに帰り、「あなたの子と呼ばれる資格はありません。天に対し、あなたに対して罪を犯しました」と心から詫びた。そしてはじめは雇い人の一人にしてくださいと願い出ようと思っていたが、言わなかった。とてもそのようなことを言える資格を持たない者であるとの謙った心の持ち主に変えられた(18・19節)。私たちも神様のみ前にこのような健全な信仰の持ち主と変えていただきたい。

 

 私たちが生活していく上で、以上の三つの健全さが必要であることを学んだ。行いの健全さを心がけて生活したい。また健全な心を求めて、造り変えてくださる神様に全面的にお頼りしてこの週も御前に歩ませていただこう。