3月5日(日):礼拝メッセージ

3月5日  礼拝メモ          (T・O)
 ルカ15章11~32節    (説教) 朝比奈悦也師

「愛に基づく三つの和」

 

 本日も引き続きルカの福音書15章の放蕩息子のたとえ話より、生ける真の神様によってもたらされる、幸せな人生を送るために不可欠な三つの和ということについて学ぶ。

 

一、融和
 融和とは、打ち解ける、という意味である。弟息子の愚かな行為によって、父親との間に溝ができてしまったが、父親の愛によって、その溝、断絶が埋められた。私たちのすぐ身の回りで、また社会の中で、世界の民族間や国家間でも、このような壁や断絶が生じてしまい、争いやいがみ合いとなり、悲しい結果を招いている。しかし神の愛は、このような壁や断絶を取り除き、打ち解け合い、一致させる。父の赦しが得られないほどの愚かな行為をしてしまった息子が悔いて家に戻ってきたとき、父親は息子が帰って来たことを喜び、彼を迎え入れ、理解し、赦し、打ち解け合った。愛は融和をもたらす。

 

二、調和
 父親の愛の中に戻った弟息子は、お父さんと打ち解け、お父さんと心を通わせ、心を合わせた生活ができるように変えられた。死んだような状態であった息子が、尊い価値ある存在に変えられた。愛は調和をもたらし、価値ある尊い存在の者に造り変える。

 

三、平和
 父親は弟息子をあたたかく迎え、平和が実現した。父親も弟息子も、父の雇い人達も、平和の中で喜び、安らぎ、楽しみ、幸いを実感している。しかし愛のない兄息子の心の中には平和がなかった。憎しみや不平不満、いがみ合いのあるところには平和は生じない。私たちが生きていくために、安らぎ、平和はなくてはならない大切なものである。それは私たちが生きるためのエネルギーを蓄えさせる。神の愛は私たちに平和をもたらし、憩わせる。

 

 神様の愛によって打ち解け合い、協力協調し合い、その中で安らぎ憩う生活は、私たちを生かし、本当に幸いな人生を送ることができるようにする。弟息子がお父さんのもとに帰り、真に幸いな人生を生きはじめたように、私たちもイエス・キリストに信頼を置いて歩み出すとき、神様の愛によって私たちの心が造り変えられ、融和・調和・平和の三つの和のある人生を生きることができる。ぜひキリストに信頼を置いて歩み出されるように。