4月30日(日):礼拝メッセージ

4月30日  礼拝メモ          (T・O)
  詩篇23篇1節      (説教) 朝比奈悦也師
「主こそが私の羊飼い 」

 

 多くの人に親しまれている詩篇23篇には羊飼いと羊の関係が記されていて、神様と信仰者の関係がとてもよく表されている。羊は目先のことにとらわれやすく迷いやすい。無力で環境の変化に弱く、神経質で動揺しやすい。また頑固でわがまま、勝手な行動に走りやすい。これらの羊の性質や姿は私たちそのものである。今日はこの羊のような私たちを牧してくださるイエス・キリストとはいかなるお方であるのかを学ぶ。

 

一、羊飼い
 羊飼いは羊にとって生きていくためになくてならない存在であることが2~4節に記されている。羊飼いは、羊のためのえさ場をよく知り、迷いやすい羊の先頭に立って導いて行き、養う。また羊を襲う危険な野獣に対してはいのちを張って守り、助け出す。羊が眠っているときは目を覚ましていて守り、移動中には崖や岩の裂け目に落ちる危険からも絶えず見守っている。私たち信仰者にとって神様は正に羊飼いのような存在。のしかかる問題課題に押し潰されそうになったときには助け出し,共にいて慰め励まし、正しい道に導き、絶えず守ってくださるお方、私たちにはどうしても必要なお方である。

 

二、主こそが羊飼い(ヨハネ10章参照)
 羊飼いであるイエス様は私たちのことをよく知っていてくださる(ヨハネ10・14, 27)。イエス様は私たちを 教え導き、一切の必要を満たし、守り、助けることのできる全能なるお方。このお方は私たちを愛していてくださるので,いのちがけでそのことをしてくださる(ヨハネ10・15)。しかし12節にあるような羊が助けを必要とするときに逃げ出してしまい、助けることのできない雇い人の存在には警戒しなければならない。イエス様こそが私の羊飼いであってくださる。数々の力ある業をなし、助けを必要とした人々を救い、十字架に架かって私たちの罪のための購いを成し遂げてくださったお方であるから。

 

三、羊飼いのもとでどのような生活ができるか
 主こそが羊飼いであってくださるとき、何一つ乏しいことがない(1節)。どこに行こうが,どのような状況になろうが決して離れることなく共にいて、愛と恵みを注ぎ続けてくださる(6節)。それは羊である私たちがいのちを得、豊かにもつためであり、永遠のいのちをもつためであるとイエス様は教えてくださっている(ヨハネ10・10, 28)。

 

 羊飼いの声を聞いて従う羊のように、私たちも生涯イエス様の声を聞いて従い、永遠の御国を目指したい。