9月10日(日):礼拝メッセージ

9月10日  礼拝メモ          (T・O)
  ヨハネ黙示録2章10節  (説教) 朝比奈悦也師
「聖書的真の信仰とは」

 

 ヨハネの黙示録は、使徒ヨハネが当時の7つの教会に送った手紙で、2,3章にはそれぞれの教会の良い点、悪い点を的確に指摘している。初めの愛から離れてしまったエペソの教会。異教や異端の教えや偶像礼拝が入り込んでいるペルガモの教会。偽教師の教えを容認しているテアテラの教会。死んだ信仰のサルデスの教会。生ぬるい信仰のラオデキヤの教会。これらの指摘された問題点に目覚め、悔い改めるべきだと語った。残るスミルナとフィラデルフィアの2つの教会は問題点の指摘はされず、貧しさや厳しい迫害の中にあっても信仰の道を歩んでいた。ヨハネはこれらの7つの教会の人々に、聖書的真の信仰とはどういうものであるのかを教え、そこに立ち続けるようにと励まし語った。2章10節の終わりのことば「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」がそれである。

 

一、聖書的真の信仰は、忠実であること
 「忠実」(ピストス、ピスティス)という言葉には、信仰という意味がある。その意味から信仰とは忠実であること、と言うことができる。信仰の「信」は、教えを信じることで、信じるが故にその教えに従うこと。信仰の「仰」はあおぐこと。謙遜に相手に仕える姿勢。それは、神様の前に謙虚に出て、神様を仰ぎ、神様に仕えることを意味する。信仰とは、神様の御心に従って生きようとすることである。スミルナの教会のクリスチャン達は困難や苦しみの中にあっても尚、謙って神に仕える信仰を維持し続けた。人生で順調な時も逆境の時も変わることなく忠実に神様に仕えることを聖書は教えている。神様に忠実な人は、人に対しても、なすべき務めに対しても、忠実な生き方をする。

 

二、聖書的真の信仰は、死に至るまで忠実であること
 「死に至るまで」という言葉は、継続性、十全性、普遍性の意味合いを持っている。継続性:日々に忠実、人生の終わりまで継続して忠実であり続けること。十全性:真剣に、真実に、本気で、心から忠実であること(ピ リピ2章6~8のイエス様の姿に現れている)。普遍性:死は普遍的事実であって、すべての信仰者に死に至 るまで忠実であることが求められている。

 

三、聖書的真の信仰がもたらす結果
 「そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう」とある。この「いのちの冠」は、神様から与えられる祝福である。それは信仰に歩む時にのみ体験できる幸いであり、喜びであり、祝福である。信仰の道を歩むなら、世の罪や誘惑、死の力に対する解決を与え、永遠のいのちに至る勝利の人生を送ることができる。

 

 如何なる中にあっても神を信じ、約束してくださっている神様の祝福を期待し、希望と喜びをもって忠実に信仰生涯を全うさせていただこう。