10月22日(日):礼拝メッセージ

10月22日  礼拝メモ          (T・O)
詩篇126篇        (説教) 朝比奈悦也師
「聖書的宣教論」

 

 イスラエルの国は、サウル、ダビデ、ソロモンと、神様の祝福を受けて繁栄の王国を迎えた。民は、困難な時は神様の教えに従おうとするが、繁栄し出すと緩み、不信仰に陥った。そこで神様は預言者を遣わし、鋭く指摘なさった。彼らは指摘されたときは悔い改めるが、また暫くすると不信仰になる、この繰り返しを続けた結果、遂に神様の預言通り、国は分裂し、やがて紀元前722年に北王国がアッシリヤに滅ぼされ、紀元前586年には南王国がバビロンによって滅ぼされてしまった。彼らの信仰の聖地エルサレムにある神殿が焼き払われ、町は略奪され、人人はバビロンに奴隷として連れ去られてしまった。そして70年間の惨めな奴隷生活が余儀なくされた。しかし神様はもう一度彼らを解放し、エルサレムに帰還して神殿再建の恵みを与えてくださった。厳しい辛い経験であればあるほど、そこから解放された喜びは言いようのないもの。その喜びを歌っているのがこの詩篇126篇である。イスラエルの歴史を見る時、このおことばの通りのことが実現している。次聖日の特伝を前に、特に5節6節に目を留め、聖書が教える宣教論を学び、備えたい。

 

一、宣教の結実
 聖書は、宣教には厳しい現実はあっても、大きな喜びを伴った結実がもたらされる、と教えている。

 

二、宣教の方策
 それは伝道の実施。出て行って種を蒔くこと。なすべき伝道をせずして収獲は得られない。時が良くても 悪くても出て行って、みことばを宣べ伝え続けること。工夫し、やり続けて行くときに神様は働いてくださり、 成果を現してくださる。

 

三、積極果敢な伝道の実施
 何事にも困難がつきまとい、涙しなければならないことがある。しかし、涙とともに種を蒔き、泣きなが ら出て行く者には、喜びの叫び、束を携えるほどの収獲がある、と聖書は語る。苦労し、困難の中で努力し、 教えられ、研鑽を積み、磨かれ強められて、その時々に相応しい伝道の仕方で積極的に取り組んでいくこと が大切。伝道の成果の陰にはこうした営みがあることを覚え、良きものを目指して積極的に取り組むお互い でありたい。

 

 尚この年の残された戦いにおいて真剣に取り組み、救われる魂が興されることを期待したい。この積極的な姿勢を伝道の面だけではなく、普段の生活の中でもとり続けていくなら、神様はその所々で必ず祝福を現してくださる。主を信頼し、真実に取り組むお互いでありたい。