11月19日(日):礼拝メッセージ

 11月19日  礼拝メモ           (T・O)
 サムエルⅠ13章8~14節他 (説教) 朝比奈悦也師
「警告:サウル王の悲劇」

 

 イスラエルの民は、長きに亘る奴隷生活を送ったが、解放された後も先住民や周辺諸民族との争いの繰り返しの中で、危険で不安定な暮らしをしていた。そしてやっと安住の地が与えられ、国家として存在できるようになり、安定と繁栄の時代を迎えることができた頃のこと。その繁栄に導いたのが、神様によって油注がれ、王として立てられたイスラエルの初代の王サウルであった。彼は神様の祝福のもとでイスラエルに偉大な繁栄をもたらし、人々からその実績を認められた。しかし残念ながら彼の最期は悲惨であった。息子たちは敵兵に惨殺され、イスラエルの多くの民も殺され、遂に自身も敵の攻撃によって致命傷を負い、自害するという結末を迎えた。このようなサウルの生涯を通して聖書は私たちに、目を覚まして信仰生活を送るように警告を与えている。その原因について学ぶ。それは3つの乱れが生じたことによる。

 

一、行いの乱れ
 サウルは13章でペリシテ軍との戦いを前に窮地に立たされたとき、自分の分を越えていけにえを献げてしまった。また15章ではアマレクとの戦いでの勝利の後、すべて滅ぼすべきところを、良いものを見て惜しく思 い、残しておいた。彼の行為は神様のおことばに不徹底であった。それを指摘されたとき素直にその事実を認めずその時々にもっともそうな言い訳をした。サムエルの来るのが遅れたから。神様にささげ物をするために残した、と。もし、素直に自分の過ちを認め、詫びていたなら、行いの乱れは修正されていた。

 

二、心の乱れ
 圧倒的な敵の軍勢を前にしたとき、不安、動揺、恐れ、焦りによって心が乱れた。素晴らしい戦利品を見たとき、目も心も奪われ、惜しく思い、それらの心に支配された。心のあり方が生活のあり方となり、行為となって現れる。すべての守るべきものに優って心を守らなければならない。

 

三、信仰の乱れ
 サウルは窮地に立たされ、心が動揺したとき、自分の考えで行動をした。神の教えではなく、自分の考え、自分の欲が最終判断となった。信仰とは、神様を信頼して判断し、拠り頼んで行動し、生活すること。私たちのために十字架にかかって死んでくださったお方は私たちのために全責任を取ってくださり、決して裏切ることのないお方である。信ずべきお方を見失うことのないようにさせていただきたい。

 

 3つの乱れを反省し、信仰の道に歩ませていただこう。