12月24日(日):礼拝メッセージ

12月24日  礼拝メモ           (T・O)
 ルカ2章10、11節     (説教) 朝比奈悦也師
「大いなる喜びの知らせ」

 

 聖書はキリストの誕生を、大いなる喜び、と表現している。この大いなるという表現には、3つのことが含まれている。

 

一、大いなる喜び
 ユダヤ人達は当時、ローマ帝国の支配下にあり、抑圧された不自由な生活を送っていた。経済的には重税を課せられ、一般民衆は貧しさに苦しんでいた。イエス様はその様な彼らに寄り添い、必要を満たし、希望と喜びを与え。それで人々からはこの方こそ救い主だと注目された。ローマ帝国による不自由さは身に染みてはいたが、それ以上に罪による陰惨な心の支配を受けていた。罪は心を貧しくし、日常生活に不幸をもたらす。罪は自己中心や争い、戦争などのかたちをとって人々を傷つけ、死に追いやる。罪の払う価は死である。罪は神の審きをもたらし、永遠の滅びを刈り取らなければならない。罪とは人間が直面する最も深刻な問題である。キリストは、この罪から私たちを救い出すために誕生された。罪の奴隷であった私たちが罪から救われて神の子とされ、永遠の滅びに向かっていた者が永遠のいのちをいただく祝福を得た。イエス様によって、人間には最も深刻な罪が解決されて、大いなる喜びがもたらされた。

 

二、大いなる悲しみ
 大いなる喜びの背後には大いなる悲しみがあった。イエス様は私たちを罪から救うために十字架にかかられた。神としての特権を奪われ、その身は打たれ、人々から疎まれ、弟子達から裏切られ、神様からは見捨てられるという経験をしてくださった。それは私たちが負わなければならないものであったが、私たちに代わって悲しみ、苦しみ、痛みを負ってくださった。これほどの悲しみはない悲しみを受けてくださったが故に、人類に大いなる喜びがもたらされた。

 

三、大いなる感謝
 私たちのためにこれほどの犠牲を払ってくださったイエス様を思うと、感謝以外にはない。感謝の心をもてるとき、イエス様を受け入れ、信頼して歩み出す。大いなる感謝は不動の信仰を生む。

 

 今一度、イエス様が私たちのために与えてくださった大いなる喜びを捉え、その背後にあるイエス様の犠牲と大いなる悲しみを覚え、大いなる感謝をささげて信仰を新たにし、一年の締め括りと新年への備えをしたい。