6月3日(日):礼拝メッセージ

6月3日  礼拝メモ           (T・O)

 マルコ1章14~15節    (説教) 朝比奈悦也師

「人生刷新の希望と成就」

 

 人生の様々な出来事を経験し、失望落胆し、諦めてしまっている人々が大勢いる。しかし聖書には希望があると教えている。かつて、青年よ大志を抱け、と語った北海道大学のクラーク博士のことばが有名だが、残念ながら「キリストにあって」という大切な言葉が欠落して伝えられている。キリストにあるなら、失望や落胆を経験するようなことがあっても、希望に生きる人生に変えられると教える。では、希望をもって人生を送るためにどうすれば良いのかを今日の聖書箇所から学ぶ。

 

1、悔い改めなさい

 悔い改めとは、何が、どこがいけなかったのかを反省し、良くなかったところを正して、再び失敗しないようにすること。それをしなければ同じ失敗を繰り返すことになる。しかし人は、悔い改めるということが大の苦手である。人の欠点や弱点は目につくが、自分のこととなると目をおおい、忘れようとする。悔い改めることに疎くなっているが、心して悔い改めたい。

 

2、何を悔い改めるべきか

 マルコ1章4節には「罪の赦しに導く悔い改め」という御言葉が記されている。悔い改めるべきは「罪」であると聖書は語る。嘘や偽り、妬み、盗み、不道徳など、罪のために人生を台無しにしてしまう姿を頻繁に見聞きする。それは他人事であって、自分には関係のないこと、としてしまっていないだろうか。自らのあり方、心の内を正直に見つめ、自分の罪を悔い改めなければならない。

 

3、罪を悔い改めるには

 15節には「福音を信じなさい」とある。福音とは、イエス・キリストによる救いのこと。罪を反省し、改めるために、自分の力や努力で改めよと語っているのではない。人には努力や頑張りで罪を解決できないことをよく分かっておられる神様は、私たちの罪を解決するために、ご自分の御子イエス・キリストをこの世に送ってくださった。罪は償わなければ解決しない。そこで、全く罪のないイエス様が私たちの罪のために十字架につき、身代わりに処刑されて、罪の償いを果たしてくださった。このイエス様の身代わりの死の故に私たちの罪が赦される。イエス様が私の罪のために死んでくださったと信じるとき、一切の罪を赦して頂け、罪の解決を得るのである。さらにイエス様は、私たちが人生で直面する様々な問題課題に対しても解決を与えてくださることのできるお方である。

 

 罪の解決なしに本当の幸いな人生はない。罪からの救いを提供してくださるイエス様を信じ、罪の重荷から解放され、神の守りと希望のある人生を歩み始めよう。