7月8日(日):礼拝メッセージ

7月8日  礼拝メモ           (T・O)

 ルカ24章13~53節     (説教) 朝比奈悦也師

「開かれた目」

 

 この聖書の記事は、イエス様が十字架で死なれた後、失望と落胆の中にあった2人の主の弟子たちがエルサレムを離れ、エマオに向かっている途中のこと。そこに復活されたイエス様が現れ、彼らの目を開き、見えていなかったものを見ることができるようにし、彼らの人生が一変した。31節の「彼らの目が開かれ」とは、そのことを現している。今も私たち信仰者も、イエス様によって目が開かれ、人生が、生き方が変わる経験をすることができる。このことを覚えつつ、弟子たちは目が開かれて何を見るようになったのかを学ぶ。

 

1、主が生きておられる事実

 よみがえりのイエス様を目の前にしつつもイエス様だと捉えることができなかったが、目が開かれたとき、復活の主を認めることができ、力付けられた。丁度、ペリシテ人ゴリアテを恐れ、尻込みしていたイスラエル兵に対し、万軍の主が共にいて戦ってくださると捉えて戦った少年ダビデのように。目の前の厳しさばかりを見て恐れ退く状態から、確かに死を打ち破り生きて働く主が共にいてくださることを見ることができたとき、弟子たちは力づけられ、困難に立ち向かう生き方へと一変した。

 

2、主が語り、教え、導かれる事実

 またこの弟子たちは、主は2人の現実をよく理解してくださり、そこを乗り越えて行くために語り、教え、導いてくださったという事実を体験した。主が生きておられたときに何度も弟子たちに語っておられた通りのことが実現したのであって、恐れなくても大丈夫。何があっても主を信頼して進んで行くならば神の栄光を見ることができる、ということを教えられた。主の語りかけ、主の教えを経験した者は、主の語りかけを聞き分け、おことばを聞いて、その教えに従って生きるようになる。

 

3、主の祝福と勝利を与えてくださる事実

 主の十字架の死と埋葬により、落胆と失望、どうしていけばよいか分からずにいた弟子たちであったが、復活の主にお会いし、目が開かれたことによって、心燃やされ(32節)、平安を得(36節)、喜びに満たされ(41節,52節)、いつも神をほめたたえていた(53節)。そして人生の目的「これらのことの証人となります」(48節)が与えられ、その目的を果たすための保証(49節)も約束された。この後、弟子たちはみな、与えられた使命を果たすために力強く進み続けた。

 

 私たちもイエス様に目を開いていただき、主の教えを頂戴し、主の祝福と勝利を経験する者とされよう。