7月22日(日):礼拝メッセージ

7月22日  礼拝メモ           (T・O)

 Ⅱペテロ3章9~10節   (説教) 朝比奈悦也師

「悔い改めに進むことを」

 

 厳しい暑さの中であるが、計画通りに西淀川特伝が昨晩と本日午後の2回にわたって行われている。今朝は、救霊伝道について3つの観点から学ぶ。

 

1、神様に目を向けつつ救霊伝道を考える。

 私たちの信じている生ける神様は目に見えない霊なるお方であり、義なる方、愛なるお方であられる。世の中は不義で満ちあふれ、罪は人々を不幸にしている。義なる神様は不義を決して受け入れることができず、罪に対して妥協は一切されず、不義を審かれる。しかし人間は罪と妥協し、罪を犯し、罪を喜んだりもする。聖書には罪に対する神の審きが記されている。義なる神は、また同時に愛なる神でもあられる。罪を犯したために審きを刈り取らなければならない人間に対し、そのまま黙って見過ごすことのできないお方。9節には「だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられ」とあり、すべての人が罪から救われて生きる道を提供していてくださるお方が神様である。

 

2、イエス・キリストに目を向けつつ救霊伝道を考える。

 私たち罪人を救うためにこの世に来てくださった御子イエス様は、罪を犯すことなく義なる生涯を全うされた。そして滅びに向かう罪人のため、その罪を一身に背負って十字架について苦しみを受け、身代わりの審きを受けて死んでくださった。イエス様の十字架の死は、神の義を成就した。また十字架にかかって死なれたことにより、人間の一切の罪の償いが全うされ、人に救いがもたらされた。十字架によって神の義と愛が成就した。

 

3、クリスチャンの観点から救霊伝道を考える。

 イエス様に対する信仰によって、私たちは犯した一切の罪の赦しを頂戴し、罪の審きから救われ、罪のもたらす不幸からも救われた。罪からの救いを頂戴するのみならず、神の子としての特権をいただき、神からの祝福、私たちに必要な一切のものをいただくことができている。そして永遠のいのちに与る者とされている。このような尊いすばらしい恵みを受けることができ、心から主に感謝する。この恵みに生かされている信仰者は、主の救いの証人として生きる者とならなければならない。

 

 この夏の特伝も、残るは本日午後の営みだけとなった。イエス様の救いの恵みに感謝しつつ真実に祈りながら、それぞれの立場で、今の自分にできることを精一杯果たさせていただきたい。