11月11日(日):礼拝メッセージ

11月11日  礼拝メモ           (T・O)

 ヨハネ21章1~8節    (説教) 朝比奈悦也師

「弟子たちの信仰の覚醒」

 

 イエス様には12人の弟子がいた。彼らはイエス様と寝食を共にし、身近に教えを聞き、大いなる御業を見続けてきた。そしてこのお方こそ間違いなく救い主であると確信した。その確信を土台として一致して主に仕えた姿が記されている。しかしイエス様がいよいよ十字架の死を前にされたとき、不信に陥り、つまずき、皆バラバラに去って行った。彼らが確かな信仰を持ち続けるためには3つの直視すべき課題があった。それを学ぶ。

 

1、現実を直視する

 イエス様は十字架の時が近づいてきたとき、弟子たちに、ご自分が多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければならないことを話しておられたが、弟子たちはそのことを直視することができなかった。そのため、イエス様が捕らえられ、苦しみにあわれた時、弟子たちは混乱して不信に陥り、皆去って行ってしまった。この21章は、イエス様がよみがえられてからのこと。かつてガリラヤ湖の漁師であった弟子たちが漁に出て一晩中労したが、何も捕れなかった。疲労困憊していたとき、イエスさまが彼らに現れ、「子どもたちよ。食べるものがありませんね。」と語られた。認めたくない恥ずかしい現実であったが、彼らはそれをありのまま認め、「ありません」と主に告げた。

 

2、神様を直視する

 イエス様は弟子たちに現実を直視させただけでなく神様を直視するように導かれた。何もない現実の中であっても、神様を信じておことばに従うなら、必要が満たされる。イエス様は彼らに「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れます」と語られた。漁の仕方を熟知していた彼らには、到底魚の捕れる時間帯ではなく、また当時は網を打つときは舟の左側に網を打つことが常識であった。にもかかわらず、彼らは主のことばを重くとらえ、神様を直視し、信じ従った。

 

3、自分の立場、自分のなすべき事を直視する

 イエス様は、弟子たちが現実と神様を直視することを学ばせた後、彼らのなすべき事を直視するよう教えられた。それに従って果たすべき事をなしたとき、おびただしい数の魚を引き揚げることができた。このことを通してペテロは、イエス様はまさに「主」であることと、見失っていた自分の立場を自覚し、主のしもべであることを教えられた。生涯、主に仕え、従って行く決意をし、不動の信仰をもっていのちがけで伝道生涯を全うした。その結果、私たちが救われた。

 

 私たちも置かれている現実の中で神様をしっかりと直視し、なすべき事をとらえて確かな信仰生涯を歩みたい。