3月31日(日):礼拝メッセージ

3月31日  礼拝メモ            (T・O)

 マタイ7章24~27節   (説教) 朝比奈悦也師

「聖書的信仰生活とは」

 

 聖書が教える信仰者とはどのような人か。またその人はどのような生活を送るのか。イエス様の山上の説教の締め括りにおいてそれが語られている。本日、私たちは聖餐式を守り、信仰の刷新をいただいて再び踏み出そうとしているが、今一度、このことを確認したい。

 

1、聖書が教える健全な信仰者、健全な信仰生活とは

 24節の「わたしのことばを聞いて、それを行う」とあるが、聖書を聞いて、それを行うということを意味する。聖書が教える健全な信仰者、健全な信仰生活とは、聖書を聞いてそれを行う人であり、聖書に生きる生活を送ることである。

 

2、倒れない人、倒れない生活とは

 厳しい人生の諸問題に直面しながら生きているのが人間であるが、その厳しい人生の中にあって倒れない人が信仰者であり、倒れない生活が信仰生活である、と聖書は教えている。倒れない人の根拠はみことばにある。天地は過ぎゆくが、神のことばはどのような時代にあっても変わることなく人々にいのちを提供する。私たちの日々の生活の中で、特に厳しい現実の中で、みことばによって守られ、支えられ、助けをいただくことができる。またみことばは、人生で迷ったとき、行くべき道を示し、導きを与える。恐れ惑うときには力を与え、乗り越えさせ、倒れない生活を送らせる。

 

3、かしこい人、かしこい生活とは

 かしこいとは、幸いをしっかりと手にするかしこさ。厳しい試練や問題に直面したとき、そこを通過できるようにするだけではなしに、もっと強くするために鍛え上げ、更に大きな幸いを得て進む者とするために造り上げられる。そしてこの幸いは、この地上生活の間だけのことではなしに、永遠の御国に至るまで失われることのない永遠の幸いである。この幸いを手にするかしこさ。このかしこさは、みことばによって実現する。

 

 永遠の幸いを頂戴している私たちは、更にこの信仰を守り続け、歩みを進めていくお互いでありたい。