7月21日(日):礼拝メッセージ

7月21日礼拝メモ          

 列王記第二5章1~14節 (説教)朝比奈悦也牧師

「最悪が最善に変わる」

 

 今から約2800年前、イスラエルの王国時代が終わり、王国は北イスラエルと南ユダに分裂しました。今朝の箇所に出てきましたアラムは、イスラエル国と何度も戦いを繰り返した国で、今のシリアにあたります。そのアラムの軍の長(王に次ぐ地位、権力を持っていた)ナアマンという人物は、イスラエルの敵国でありながら主によって用いられ、戦いに勝利し実績をあげていました。アラム王からもその民からも信頼されて最高の立場にあった人物でもありました。ですが同時に彼は、最悪の問題、ツァラアトという病に冒されていました。当時、人々から最も恐れられ、忌み嫌われている病です。彼はそのような中で、預言者エリシャに解決があると見て、その下にいきます。今朝は、ナアマンが体験した最悪が最善に変わるということから、神さまの教え(聖書)に対して3つの関わりがあることを見させていただきたいと思います。

 

1、聖書に触れる

 ナアマンは、預言者エリシャの言葉(神さまからの言葉)に触れました(10節)。アラムの将軍が、敵国イスラエルに来るという事は、命の危険がありましたが、それでもなお神さまのことばに触れる為に、預言者の下に来ました。私達もまたこの姿勢に倣って、様々な障害があっても聖書に触れ、またそれを続けなければいけません。

 

2、聖書に生きている

 ナアマンは、神さまの言葉に触れましたが、それは、自分の考えていた形ではなかったので神さまの言葉を一度拒否しました(11、12節)。しかし、ナアマンのしもべたちの助言によってもう一度、神さまの言葉に従ったのです(13、14節)。私達もまた自分の思い通りにならなかったとしても聖書に生きる者でなければいけません。

 

3、聖書が生きる信仰生活

 聖書が語られている事が生きて働くこと、その信仰生活が一番大切であります。ナアマンは最悪と思っていた病が全く癒やされたことを体験しました(14節)。それは、聖書が生きる信仰によってなされました。

 

 たとえ最悪と思われる生涯であっても、聖書に触れ、生きる時に、その聖書が生きる事を体験する最高の生き方に変えられることができます。この信仰に生きるお互い、聖書とともに生きる生涯であらせていただきましょう。