9月8日(日):礼拝メッセージ

9月8日礼拝メモ

 ルカの福音書19章1~10節 (説教)朝比奈悦也牧師

「信仰者:救われた者」

 

 イエス・キリストと出会ったザアカイの人生は新しく変えられました。「変えられる」という事は、キリスト教の神髄です。今までの人生ではなく、新しい人生であり、その人生は周りの人々も本人も驚いてしまうような変化であります。先週の礼拝では、イエス様がザアカイにどのような存在になってくださったかを見ました。「人生の友、親友、戦友」。そのイエス様に出会ったザアカイがどのように変えられたでしょうか。イエス様の救いに与った者がどう変わるかを今朝、見させていただき、私達もクリスチャンとして健全な信仰生涯を送らせていただきたいと思います。

 

1、「友」となったザアカイ

 人々から毛虫のように嫌われていたザアカイに、イエス様は近づき、声をかけて、ザアカイの家を訪れてくださいました。「友」となってくださったイエス様に触れたザアカイは、彼自身が、イエス様の「友」となりました。(8節)それだけでなく、周りの人々の友にもなりました。これが救われた者の変えられた姿です。

 

2、「親友」となったザアカイ

 イエス様はザアカイの「親友」ともなってくださいました。単に場所や時を共有するだけでなく、ザアカイの心の奥底をくみ取り、彼の痛み、悲しみ、苦しみを受けとめて理解してくださったのです。ザアカイもまた、そのイエス様の親友に変えられました。イエス様は人々の救いの為に来られましたが、そのイエス様の心をザアカイは汲み取っています。そして、周りの人々の心を理解し、その人々の親友ともなったのです。(8節)キリスト・イエスの心を心とするクリスチャンは、イエス様の親友であり、また周りの方々の痛みや苦しみを共感する親友であります。

 

3、「戦友」となったザアカイ

 ザアカイは共に戦う「戦友」に変えられました。人々を救い出す為に、イエス様と共に戦う存在であり、人々の為に犠牲を払う戦友となっています。私達もイエス様の為に犠牲と代価を惜しまないクリスチャンと変えられているでしょうか。集会出席や奉仕の為に、時間と労をささげる主の戦友となっているでしょうか。自分だけが幸せであればいいというのではなく、周りの人々の幸いの為に戦い、与えるのがクリスチャンであります。

 

 私達自身、救われた者として聖書が示すクリスチャンとして歩み、真の幸いの提供者とならせて頂きましょう。