9月29日(日):礼拝メッセージ

9月29日礼拝メモ

  カの福音書 2章10,11節 (説教)朝比奈悦也牧師

「救いによる二重の幸せ」

 

 今朝の御言葉は、クリスマスの記事であり、イエス・キリストが私達にとってどういう御方かという事が簡潔明瞭に記されている箇所です。クリスチャンは、イエス・キリストの救いに与り、経験し、その中で生きている一人一人であります。10節には、「・・・大きな喜び・・・」と記されていますが、キリストの救いは、クリスチャンに大きな喜びをもたらします。いろいろな出来事の中でも喜びが与えられる事ですが、その中で、救いによる喜び、幸せは二重にもたらされるものです。3つのポイントからその救いによる二重の幸せを学びます。

 

1、受ける幸せ

 クリスチャンは救われた時に、罪が赦され、神様に愛され、神の子とされ、日々の生活の中で、神様の恵みを受ける者となりました。罪が人の人生の生活を歪めていた事を知らずに生きていましたが、主イエスさまがその罪を償って解決を与えてくださり、そして罪が赦される体験をする事ができたのです。また、日々、神様の恵み、助けをいただき生活する事ができます。

 

2、与える幸せ

 クリスチャンはまた、受ける幸いだけではなくして、与える幸せを体験する事ができます。イエス様の愛を受けて、その愛を与える幸せに生きることです。それは、赦すことができなかった事が赦せるという幸いです。

 

3、信仰の成熟

 受ける幸いが、与える幸いに変えられる事は、信仰の成熟です。信仰の生活を歩んでいきますと、イエス様のように、受ける幸せよりも与える幸せに生きるようになるのです。これは、聖書が教える健全な信仰の生涯です。

 

 今朝、私達は、イエスさまの救いがどれほど尊いものであるか、二重の幸いから学びました。受ける幸い、罪が赦され、神様に愛され、祝福されるという幸いでした。でももっと尊い幸せは、赦せる幸い、与える幸いです。私達は注意していないと、受ける幸いを証しする事はあっても、与える幸いを証ししていない事が多いのではないでしょうか。献げる、労する、仕える恵み、犠牲と代価を払う恵み、それは、与える幸いです。それをもっと証しできる成熟した信仰者に変えられるように歩ませていただきましょう。イエスさまは弟子達に言いました。「受けるより与える方が幸いだ。」「天に宝を積みなさい。」受ける幸いではなく、与える幸い、天に宝を積む幸いです。与える幸いを証しできるクリスチャンとならせていただきましょう。