10月13日(日):礼拝メッセージ

10月13日礼拝メモ         

 マルコの福音書14章27~31節 (説教)朝比奈悦也牧師

「ペテロへの主の愛」

 

 受難週の時、最後の晩餐とゲッセマネの園での祈りの間に起こった聖書の記事です。ペテロが、イエス様を、「知らない」と言って裏切った出来事は、その後のペテロの生涯を決定する事でした。それは、ペテロへの主の愛が書かれているところだからです。私達も同じように、イエス様の愛がどのようなものかを知り、聖書が教える愛を健全に受けとめさせて頂きたいと思います。

 

1、「愛」

 神様は愛であり、人間は、神様の愛を知らなければ、本当に幸せに生きる事はできません。その神様の愛に生き、示したのがイエス様です。イエスさまの行動、態度、生活は愛ゆえの事です。父なる神様に対する愛、ご自身、人々に対する愛も示されました。イエス様がペテロにかけられた言葉は愛ゆえにでたものです。

 

2、「厳しい愛」

 弟子のリーダーであったペテロに対して、イエス様は、「あなたは私を裏切る」と言われたのです。ペテロは、体裁もプライドも潰されるような言葉をイエス様から言われました。仕事を捨てて、家族からも離れてイエス様の為に一生懸命に労してきたにもかかわらず、イエス様を裏切る事を予告されたのです。ペテロは、「たとえご一緒に死ななければいけないとしても決してあなたを知らないとは申しません。」と答えました。ですが、イエス様はさらに厳しい死刑宣告のような言葉をかけられたのです。これは愛ゆえです。愛とは優しく温かく心地いいものです。でもそれだけではなく、厳しい、辛い、悲しい、絶望のどん底に落とされる愛があることを忘れてはいけません。宮きよめの記事では、神殿でイエス様は、荒い縄で鞭を作り、そこにいる商売人たちを追い出し、机の金をまき散らし、人々をそこから追い出しました。これは憎しみから出たのではありません。罪と妥協するのではなく、毅然とした態度をもったイエス様の聖なる厳しい愛、裁きを与える愛ゆえです。

 

3、「厳しくも尊い愛」

 ペテロは、裏切った後、イエス様から取り扱いを受け、立ち上がる事ができました。イエス様のペテロへの愛は、ペテロを厳しく取り扱い、立て直し、尊い働きを全うさせる愛でした。厳しい愛の中で作り上げられ、鍛えあげられたのです。

 

 私達も偏った愛ではなく、優しい愛とともに厳しい愛を理解し、より尊い器として作られていく恵みと受けとめて、感謝してその愛を受けとめ立ち上がらせていただくクリスチャンでありましょう。