10月20日(日):礼拝メッセージ

10月20日礼拝メモ          

  ペテロの手紙第二3章9,10節 (説教)朝比奈悦也牧師

「悔い改めに進むことを」

 

 西淀川特伝の最中にありますが、私達一人一人が御言葉によって心を一つにし、戦いの備えをする朝であらせて頂きましょう。「だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」という御言葉は、神様の愛が示されています。私達はことあるごとに、聖書から愛の学びを深めさせていただきましょう。

1、「幸せを願う愛」

 愛とは不幸を望むのではなく、幸せを願う事です。滅びではなく、救いが望まれている事は、真の幸いを願う愛であります。無関心は、幸せを願うのではなく、相手がどうあっても関係ないという事で、今の時代にどんどん広がっている事です。教会も注意していないと、その無関心に巻き込まれてしまいます。私達は常に注意していなければいけません。世の中には、人々を指導する立場に立つ人が政治にも経済にもどこにもいますが、実際にその場に立つと、権力や権威にふれて、それを振りかざし、その中でやがて失脚していく事は人類の歴史を見ればよくあります。イエス様は、力と権威、権力を持っておられる御方でありましたが、それを振りかざす事をなされませんでした。

 

2、「救いを提供する愛」

 愛は救いを願うだけではなく、それを実現する為に、手をさし伸べる事です。イエス様は、救いという形で、手を差し伸べられました。永遠のいのちを与える為にどうしても必要な救いをイエス様は提供なされました。罪は、裁きと滅びの対象ですが、イエス様の愛は、当然、罪によって滅びる人々に対してその愛を提供されました。イエス様は全ての人に対して救いを与えられその愛を示されたのです。

 

3、「犠牲と代価を払う愛」

 イエス様は、幸せを願い、救いを提供されました。その為に、犠牲と代価を払いなさったのがイエス様の愛です。有名なザアカイの箇所では、イエス様は、ザアカイが救いを必要としておられる事を知っておられて、その救いを提供されました。しかし、その場にいた人々からは、罪人のところに行かれた事を批判され、悪態、攻撃を受けました。また当時の指導層の人々からは、妨害され迫害されました。しかし十字架に架かり、いのちまで犠牲にし、代価を払って私達に救いの手を差し伸べられました。

 

このキリストの心を心として、特伝への心備えをし、戦いに臨ませていただきましょう。