11月10日(日):礼拝メッセージ

11月10日礼拝メモ          

 マタイの福音書14章22~33節 (説教)朝比奈悦也牧師

「信仰者の不信仰」

 

 今朝の箇所は、イエス様が弟子達、特にペテロへの不信仰の警告としての語り掛けを与えているところです。イエス様によって選ばれ、指導訓練されていた弟子達が、不信仰に陥ったのです。私達クリスチャンへのイエス様の警告でもあります。「信仰の創始者であり完成者であるイエスから目をはなさないでいなさい。」とありますが、見るべきものから目をはなす事は危険であり取り返しのつかない事も生み出すので注意しなければいけません。不信仰は私達の三つのものを狂わせますが、それを今朝は見させていただきます。

 

1、心が狂い出す

 弟子達は、舟で向こう岸へ渡ろうとしていた時、波に悩まされました。そこにイエス様が湖の上を歩いて来られたので、非常に怯えました。イエス様は、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」とおっしゃいます。イエス様は弟子達に、はっきりとご自身を示され、恐れる必要はない、とおっしゃられます。その後、ペテロは、イエス様という事でイエス様の所に向かいましたが、また強風を見て怖くなり、恐れに支配されて叫びます。せっかく、今イエス様を見て立ち上がったのに、また恐れに支配されるようになります。現実問題の中で心が恐れに奪われてしまいます。私達の姿そのものではないでしょうか。神様が平安を与えてくださるにもかかわらず、問題に心が向けられて安心を失います。

 

2、行動が狂い出す

 イエス様から平安を与えられたにも関わらず、ペテロは、強風を見て、沈みそうになりました。行動が狂い出したからです。世の中を見ても、あおり運転、危険な運転、心の焦り、怒りが、行動を狂わせる事があります。不信仰によって行動が狂い出します。

 

3、人生(生活)が狂い出す

 不信仰になる時に、恵みが分からなくなり、喜び、感謝の代わりに、不平や不満が心に満ちるようになります。弟子のユダは、不信仰のゆえに最後に自らの命を絶つようになりました。初代の教会で、アナニアとサッピラという信仰者の夫婦は、嘘をついて、献金をささげた時に、人々の前で倒れて息が絶えてしまいました。マラキ書には、「あなたは、私のものを盗んでいる。」と警告が与えられている箇所もあります。

 

 私達は、礼拝(集会出席)を重んじ、祈りをささげ、聖書を読み、信仰者の交わりに参加し続け、襟を正して、信仰の道を歩んでいこうではありませんか。